期待しすぎずに使うという考え方

期待しすぎずに使うという考え方のアイキャッチ画像 AIと仕事

生成AIを使っていて、
「思ったより助からない」と感じたことはないだろうか。

便利なはずなのに、
完全には任せきれない。
この感覚は、使い方の問題というより、
期待の置き方に近い気がしている。


期待通りに働く存在ではない

生成AIに触れたとき、多くの人が少しだけ大きな期待を抱く。
仕事が早くなる。
考える負担が減る。
これまで時間をかけていた作業が、軽くなる。

実際、そうした場面は確かにある。
ただ、それと同時に「思ったほどではない」という感覚も残る。

期待と現実のあいだに生まれる、この小さなズレ。
それを失敗と捉えるか、前提として受け入れるかで、
生成AIとの付き合い方は大きく変わる。


期待が大きいほど、違和感は目立つ

生成AIに、
考えること
整理すること
言葉を選ぶこと

その多くを任せようとすると、違和感は強くなる。

返ってくる文章は整っている。
けれど、どこか自分の感覚と噛み合わない。
その「少し違う」という感触が、使うたびに積み重なっていく。

このとき起きているのは、
生成AIの性能不足というより、
こちらがまだ曖昧なまま預けている、という状況に近い。


「考えを進める途中」に置くもの

生成AIは、完成した答えを出す存在ではない。
むしろ、考えを途中まで運んでくれる存在だと感じている。

・言葉に詰まったとき
・頭の中が散らかっているとき
・一人で考えるのが少し重たいとき

その負荷を、一時的に分散してくれる。
それだけで、十分に役割を果たしている。


「結局、自分で直している」という感覚

生成AIを使っていると、
最終的には自分で書き直す場面が多い。

以前は、それを遠回りだと感じていた。
せっかく使っているのに、意味がないのではないか。
そんなふうに思うこともあった。

けれど、書き直す過程を振り返ると、
そこには小さな整理が積み重なっている。

どの表現がしっくりこないのか。
どこで引っかかっているのか。
自分が大切にしている言葉は何か。

生成AIは、それを浮き彫りにする装置のようにも見える。


期待を下げると、使い心地は上がる

生成AIに多くを求めない。
完璧を期待しない。
半分くらい手伝ってくれれば十分だと思う。

そのくらいの距離感になると、
使うこと自体が軽くなる。

うまくいかなくても、失望しない。
うまくいったら、少し助かったと感じられる。

この安定した関係が、
長く使い続けるうえでは大切なのかもしれない。


使い慣れてきた人ほど、期待は控えめになる

不思議なことに、
生成AIをよく使っている人ほど、期待値は高くない。

「このくらいまでやってくれれば十分」
その線が、自分の中にあるからだ。

期待が低いわけではない。
役割がはっきりしている、という感覚に近い。


仕事を減らす道具ではない

生成AIを使っても、
考えることや判断することがなくなるわけではない。

ただ、重たい部分を一度テーブルの上に並べてくれる。
最初の一歩を、一緒に踏み出してくれる。

仕事そのものを終わらせる存在ではなく、
思考の重さを分け合う存在。


おわりに

期待しすぎずに使う。
それは、生成AIを疑うことでも、距離を置くことでもない。

道具として正しく扱う、という姿勢に近い。
自分の思考を手放さず、
ほんの少しだけ軽くする。

今日の仕事が、
少しだけ整ったと感じられたなら。
それで十分だと思っている。