頑張りすぎない働き方を選ぶ理由

頑張りすぎない働き方を選ぶ理由のアイキャッチ画像 働き方とキャリア

仕事を続けていると、ある瞬間に、ふと立ち止まる感覚が訪れます。
忙しさそのものには慣れているはずなのに、なぜか呼吸が浅くなっているような感覚。
終わらないタスクよりも、「このやり方でいいのだろうか」という思考のほうが、頭の中に長く残ることがあります。

管理職になり、部下ができ、守るべきものが増えるほど、その違和感は静かに積み重なっていきます。
日中は部下のフォローに追われ、自分の仕事は夕方以降に回す。
部下を先に帰らせてから、ようやく一人で集中できる時間が始まる。
それが「責任を果たしている状態」だと信じてきた一方で、どこか無理をしている感覚も消えません。

頑張り続けることで成り立ってきたもの

これまで、頑張ることで乗り越えてきた場面は、確かに多くありました。
時間をかければ形になる。
人より遅くても、努力を重ねれば追いつける。
そう信じてきたからこそ、今の立場に立っているとも言えます。

ただ、その前提は、いつの間にか変わっていきます。
自分一人で完結する仕事から、チームで成果を出す仕事へ。
個人の踏ん張りが、そのまま結果に結びつく場面は、少しずつ減っていきます。

それでも、癖のように「自分がやった方が早い」と思ってしまう。
容量が悪い自分を責めながら、結局また時間を積み上げる。
その繰り返しが、正しさなのかどうか、判断がつかなくなる瞬間があります。

任せることで生まれる、別の負荷

業務を部下に任せ始めたとき、楽になるどころか、別の疲労を感じることがあります。
説明に時間がかかる。
思った通りに進まない。
確認の手間も増える。

それでも、少しずつ部下が育っていく過程を見ると、「急がば回れ」という言葉の意味が、現実味を帯びてきます。
短期的には非効率に見えても、長期的にはチームの呼吸が整っていく。
その変化は劇的ではありませんが、確かに積み重なっていきます。

ここで一つ、整理しておきたいことがあります。
頑張りすぎない働き方は、怠けることとは違います。
力を抜くことと、責任を放棄することは、同じではありません。

頑張りすぎないという選択

頑張りすぎない働き方を選ぶ、というのは、これまで信じてきた価値観をすべて否定することではありません。
むしろ、「どこで力を使うか」を選び直す感覚に近いように思います。

すべてを完璧にこなそうとしない。
自分の容量の限界を、冷静に見積もる。
それは諦めではなく、状況を正確に把握する行為でもあります。

上司にも、部下にも気を使い続ける立場にいると、自分の感情を後回しにしがちです。
不満を溜め込まないために言語化する一方で、それが本当に健全なのか、判断に迷うこともあります。
ここで大切なのは、「吐き出すこと」よりも、「整理すること」なのかもしれません。

努力信仰との距離感

人の二倍、三倍努力すれば報われる。
この考え方は、多くの場面で支えになってきました。
同時に、手放すのが難しい考え方でもあります。

努力そのものが悪いわけではありません。
ただ、努力の方向がズレたまま積み上がると、疲労だけが残ることもあります。
頑張り続けているのに、手応えが薄い。
そんなときは、量ではなく、配分を見直す余地があるのかもしれません。

頑張りすぎない、という選択は、未来の自分に余白を残す行為でもあります。
余白があるから、判断が鈍らない。
余白があるから、人の成長を待つことができる。

少し軽くする、という視点

働き方を劇的に変える必要はありません。
今日から急に残業をゼロにする、という話でもありません。
ほんの少し、力を抜く場所を決める。
それだけでも、日々の感覚は変わっていきます。

全部を抱え込まなくてもいい。
全部を理解していなくてもいい。
そう思える瞬間が増えると、仕事と生活の境界が、少しだけ穏やかになります。

頑張りすぎない働き方は、弱さの表明ではありません。
長く続けるための、静かな選択です。
まだ試行錯誤の途中で、正解が見えているわけでもありませんが、少なくとも呼吸は整いやすくなります。

今日を少し軽くする。
その積み重ねが、心地よい働き方につながっていく。
今は、その感覚を確かめながら、歩いているところです。