仕事をしていると、「学んでいるつもり」になっている時間が増えていきます。
新しいツールを触り、情報を追い、仕様変更に対応し、なんとか今日を回す。
それ自体は間違っていないし、むしろ必要なことでもあります。
ただ、ある時から、少しだけ違和感が残るようになりました。
これだけ新しいことに触れているのに、どこか足元が不安定な感覚が消えない。
知識は増えているはずなのに、積み重なっている実感が薄い。
その違和感が、最近になって少し言葉になってきました。
学び続けているのに、軽くならない
ECの仕事は、変化が早い分野です。
モールのルールは頻繁に変わり、アルゴリズムも更新される。
広告の仕様も、UIも、推奨されるやり方も、少し目を離すと別の景色になっている。
生成AIが本格的に入り込み、その速度はさらに上がりました。
便利になった一方で、覚えることは減るどころか、むしろ増えている感覚があります。
その中で、気づくと「学び」が、
追いつくための作業、
遅れないための防御、
そうした性質を帯びていました。
学んでいるはずなのに、心は軽くならない。
それは、知識が足りないからではなく、学びの置きどころが少しずれていたのかもしれません。
「新しいこと」より「なぜやっているか」
最近、仕事の中で立ち止まる場面が増えました。
新しい施策を考える前に、手が止まる。
ツールを導入する前に、一拍置く。
そこで自分に確認しているのは、とても単純なことです。
これは、新しいからやるのか。
それとも、いまの自分たちに必要だからやるのか。
この確認を挟むだけで、視点が少し明るくなってきます。
真新しさに引っ張られていた思考が、足元に戻る感覚。
学び直しとは、新しい知識を増やすことではなく、
自分の判断基準を点検することなのかもしれない。
そんな感覚を持つようになりました。
仕事が教えてくれる、思考の癖
忙しい日々の中で、仕事は多くのことを教えてくれます。
ただし、それはマニュアルの形ではありません。
焦っているとき、どんな判断をするのか。
余裕がないとき、どこを省こうとするのか。
うまくいったとき、それをどう受け取るのか。
そうした反応の積み重ねが、自分の思考の癖を浮かび上がらせます。
以前は、結果ばかりを見ていました。
売上、数字、達成、不達成。
けれど最近は、その前にある「考えた過程」に目が向くようになっています。
同じ仕事をしていても、
何を考えながら取り組んだかで、残る学びは変わる。
経験年数とは別のところに、差が生まれる気がしています。
学びを、外に預けすぎない
情報があふれている時代だからこそ、
学びを外に預けすぎていた感覚もありました。
誰かの成功事例。
効率のいいやり方。
正解として流通している方法。
それらは確かに参考になります。
ただ、そのまま受け取ると、どこか借り物のような感触が残る。
最近は、インプットを増やすよりも、
一度、自分の中で言葉にすることを大切にしています。
理解したつもりのことを、
自分の言葉で説明できるか。
その確認だけで、学びの輪郭がはっきりしてきます。
うまくいかなかった仕事の価値
仕事を通じて学び直していることの一つは、
うまくいかなかった仕事を、急いで片付けすぎないことです。
失敗や停滞は、忙しいと邪魔になります。
次に進むために、忘れてしまいたくなる。
けれど、そこには多くの材料が残っています。
なぜ、その判断をしたのか。
どこで無理をしたのか。
何を見ないふりをしたのか。
それを振り返ることは、反省というより整理に近い。
責めるためではなく、理解するための時間です。
学び直しは、前に進むために立ち止まる行為でもある。
そう考えるようになってから、止まることへの抵抗が少し和らぎました。
学びは、静かに続いていく
仕事を続けていると、
いつの間にか「分かっている側」に立っているような場面が増えていきます。
それでも、仕事を通じて見えてくるのは、
まだ整理できていないこと、言葉になっていない感覚の多さです。
学び直しは、劇的な変化をもたらすものではありません。
気づけば、視界が少し澄んでいる。
判断が、わずかに静かになっている。
そのくらいの変化で、十分なのだと思っています。
今日も仕事の中で、
何かを学び、何かを見直し、
考え続けている途中にいます。



