仕事の帰り道。
スマートフォンを開いて、いつものように情報を流し見していた。
誰かの学びの記録。
誰かの成長報告。
誰かの「この一年で変わったこと」。
それ自体が悪いわけじゃない。
前向きで、努力の跡が見えて、きっと本物だと思う。
でも、なぜか胸の奥が少し重くなる日があった。
「自分も、ちゃんとやっているはずなのに」
そんな独り言が、頭の中をよぎる。
小さな違和感
仕事は忙しい。
覚えることも多い。
学ぶ環境も、機会も、決して少なくない。
それなのに、
気づけば「次は何を学ぶべきか」「もっと成長しないと」という言葉ばかりが、頭の中を占領していた。
休みの日も、
何かしていないと落ち着かない。
本を読んでいない自分。
インプットしていない自分。
それだけで、少し置いていかれたような気持ちになる。
この感覚は、いつからだっただろう。
この記事を書くに至った背景
この文章を書こうと思ったのは、
ある日、ふと立ち止まった瞬間があったからだ。
仕事の合間、
ノートを開いて、やるべきことを書き出していた。
タスク。
学びたいテーマ。
気になっている本や講座。
ページが埋まるほど、文字を書いたのに、
気持ちはなぜか軽くならなかった。
むしろ、
「まだ足りない」という感覚だけが、強く残った。
そのとき、思った。
成長しようとしているのに、
自分を追い詰めていないだろうか。
この違和感を、そのままにしておけなくて、
こうして文章にしている。
「学び」を通じて感じたこと
僕は、学ぶこと自体が好きだ。
知らなかったことを知る瞬間や、
点と点がつながる感覚は、やっぱり心地いい。
ただ、いつの間にか、
学びが「安心材料」になっていた。
学んでいないと不安。
遅れている気がする。
このままでいいのか分からなくなる。
そんな状態で触れる情報は、
本来の楽しさよりも、
焦りを増幅させることが多かった。
「もっと」「次は」「まだ足りない」
その言葉が、
自分の内側から聞こえてくるようになっていた。
学びとの距離を見直してみた
ある日、意識的に、
新しい情報を取りにいくのをやめてみた。
完全に遮断したわけじゃない。
ただ、
「今は受け取らなくてもいい」と決めただけだ。
その代わり、
これまで学んできたことを、
ゆっくり振り返る時間をつくった。
ノートを読み返したり、
過去のメモを眺めたり。
すると、不思議なことに、
「自分、何も積み上げていないわけじゃないな」と思えた。
見えていなかっただけで、
ちゃんと残っているものがあった。
生活や仕事に起きた小さな変化
それから、
「成長しなきゃ」という言葉を、少し疑うようになった。
疑う、というと大げさかもしれない。
ただ、
その言葉が出てきたとき、
一拍置くようになった。
本当に今、必要だろうか。
それとも、焦りから出てきた言葉だろうか。
そうやって問い直すだけで、
呼吸が少し整う感じがした。
仕事でも、
「全部を一気に良くしなくてもいい」と思えるようになった。
過去の自分と照らし合わせて
振り返ると、
以前の僕も、同じように「もっと」を抱えていた。
環境が変わるたび、
求められるものが増えるたび、
自分も変わらなきゃと思っていた。
その姿勢が、
今の自分を支えている部分も確かにある。
だから、
頑張ってきた自分を否定したいわけじゃない。
ただ、
あの頃と同じ力の入れ方を、
今も続ける必要があるかは、分からない。
「変わらなくてもいい」という視点
成長という言葉は、便利だ。
前向きで、分かりやすくて、
多くの場面で使われる。
でも、
その言葉が重く感じるときは、
少し距離を取ってもいいのかもしれない。
変わらない選択。
立ち止まる時間。
今のままを確かめること。
それらも、
人生の中では自然な流れだと思う。
無理に前に進まなくても、
ちゃんと時間は流れている。
この先にありそうな未来
これから先、
また「もっと学ばなきゃ」と思う日も来ると思う。
完全に手放すことは、きっとできない。
ただ、
そのたびに立ち止まって、
自分の声を聞くことはできそうだ。
余白を残したまま
この記事を書きながら、
「結論を出さなくていい」と思っている。
成長についても、
学びについても、
きっと人それぞれだ。
ただ、
もし今、
「ちゃんと成長してるはずなのに、しんどい」と感じているなら。
それは、
何かが間違っているサインではなく、
少し休憩してもいい合図なのかもしれない。
この文章が、
そんなふうに呼吸を整えるきっかけになれば、
それで十分だと思っている。
答えは、
急がなくても、
そのままでも、
見つかるかもしれない。



