ChatGPTを使い始めたとき、
正直なところ、
便利さよりも先に「怖さ」が来ました。
使えば楽になる。
それは分かっていた。
それでも、
どこか落ち着かなかった。
触る前から、身構えていた
生成AIという言葉を聞いたとき、
頭に浮かんだのは
「仕事を奪う」「考えなくなる」といった話でした。
GoogleのGemini。
MicrosoftのCopilot。
そして、ChatGPT。
名前は次々に出てくるのに、
自分の中では、
まだ触ってはいけないもののような距離感がありました。
実際には、流れに乗っただけだった
とはいえ、
強い問題意識があったわけでもありません。
周りが、
ごく自然に使っていました。
「これ、Geminiで聞いた」
「下書きはCopilotに投げた」
そんな会話が、
少しずつ増えていった。
だから僕も、
深く考えずにアカウントを作りました。
選んだというより、ただ同じ場所に立っただけ。
そんな始まりでした。
最初に感じたのは、安心ではなかった
使ってみると、
すぐに答えが返ってくる。
文章も整っている。
言い回しも、それらしい。
それなのに、
なぜか心が落ち着かない。
「これに頼っていいのか」
「自分で考えたことになるのか」
便利なのに、
一歩引いてしまう自分がいました。
怖さの正体は、AIじゃなかった
しばらくして、
その怖さの正体が、
少しずつ分かってきました。
怖かったのは、AIではなく、
自分の考えが薄まる気がしたこと。
考える前に答えが出る。
整った文章が先に並ぶ。
その状態に、
自分の居場所がなくなるような感覚があった。
ChatGPTが残った理由
実は、
ChatGPTとGeminiは、
しばらく同時に使っていました。
どちらが優れているか、
という視点ではありません。
ただ、
同じように問いを投げて、
返ってくる反応を見ていた。
その中で、
考えがまとまっていなくても、投げやすかったのがChatGPTでした。
途中の言葉。
曖昧な独り言。
それを、そのまま受け止めてくれる感じがあった。
便利さより、距離感だった
ChatGPTがよかったのは、
答えを出してくれるところではありません。
思考が途中のままでも、置いていかれない距離感。
判断を代わりにする存在ではなく、
考える前の散らかりを
一度外に出せる相手。
その位置づけが、
少しずつ怖さを和らげてくれました。
使わない選択も、残したまま
今でも、
毎日使っているわけではありません。
あえて使わない日もある。
自分の頭だけで考えたい日もある。
使う・使わないを自分で選べる
その感覚があるから、
今も距離を保てています。
便利なのに、怖かった理由
振り返ると、
あの怖さは、
とても自然なものだったと思います。
便利だからこそ、
自分の立ち位置が揺れた。
でも、
その揺れがあったから、
どう付き合うかを考えられた。
終わりに
生成AIは、
万能な答えではありません。
僕自身、
まだ探りながら使っています。
便利さと不安のあいだで、
立ち止まりながら。
もし今、
少し怖さを感じているなら。
それは、
距離を測っている証拠かもしれません。
今日はただ、
その感覚を否定せず、
呼吸が少し整えば。
それで十分だと思っています。



