小さな違和感から
生成AIを使うようになってから、
仕事は確かに早くなった。
資料の下書き。
文章の整理。
考えを言葉にするまでの距離。
以前より、ずっと短い。
それなのに、
一日が終わるころ、
なぜか呼吸が浅いままの日が続いた。
「速くできるのに、なんでずっと苦しいんだろう」
この独り言が、
頭の奥で何度も浮かんでは消えていた。
この記事を書くに至った背景
僕はECの仕事をしている。
日々、判断と調整の連続だ。
数字。
在庫。
広告。
人の動き。
少しでも遅れると、
次の仕事がすぐに積み上がる。
生成AIは、
その流れを止めずに進むための、
とても心強い存在だった。
ただ、便利になるほど、
「急ぐ前提」が
静かに強化されていく感覚もあった。
早く終わる。
次が来る。
また早く終わる。
終わっているのに、
終わった感じがしない。
効率が上がったはずなのに、
心だけが追いついていない。
その違和感を、
そのままにできなくなって、
この記事を書いている。
生成AIと仕事を進める中で感じたこと
生成AIを使うことで、
作業の摩擦は確実に減った。
考えがまとまらない時間。
言葉に詰まる瞬間。
そういうものは、
以前より明らかに少なくなった。
一方で、
考える前に進んでしまう場面も増えた。
問いが浅いまま、
形だけが整っていく感覚。
間違ってはいない。
でも、少し落ち着かなかった。
速さが、
思考を追い越していく感じ。
自分が何を考えていたのか、
あとから振り返れない瞬間が
増えている気がした。
急ぐこと自体を疑い始めた
ある日、
作業がいつもより早く終わった。
次のタスクに、
すぐ取りかかれる余裕があった。
でも、そのとき、
手が止まった。
「このまま、次に進んでいいんだっけ」
効率が上がったから、
急ぐ必要は減っているはずなのに、
身体だけが先に反応していた。
もしかすると、
効率化の目的が
“速く回すこと”だけに
寄っていたのかもしれない。
そんな考えが、
静かに浮かんできた。
生活と仕事に起きた小さな変化
それから、
少しだけ間を取るようになった。
すぐ次に行かない。
一度、流れを眺める。
何が楽になったのか。
どこが削られたのか。
生成AIを使ったかどうかより、
自分の状態を確認する時間を
意識するようになった。
すると、
仕事の量は変わらないのに、
疲れ方が少し違ってきた。
量は同じ。
速さも大きくは変わらない。
それでも、
頭の中が散らかりにくい。
急いでいないつもりの日のほうが、
結果的に仕事が進んでいることもあった。
過去の経験と照らし合わせて見えてきたこと
昔、
必死に手を動かしていた頃。
遅い。
要領が悪い。
そう言われながら、
一つずつ覚えていた時期がある。
成果は少なかったけれど、
あの頃の感覚は、
今も体に残っている。
なぜこうするのか。
どこで迷ったのか。
今は、
正解に辿り着くのが早い分、
その過程が薄くなりやすい。
どちらが良い、
という話ではない。
速さと理解は、
必ずしも同じではない。
そのことを、
生成AIと向き合う中で
改めて実感した。
この先にありそうな未来
生成AIは、
これからも進化していくと思う。
もっと早く。
もっと正確に。
それ自体は、
きっと止まらない。
でも、
その中でどう付き合うかは、
自分で選べる。
全部を速くしなくてもいい。
考える時間まで削らなくていい。
効率が上がった分、
急がない選択肢が生まれる。
そんな余白が、
少しずつ増えていく未来なら、
悪くないと感じている。
余韻として
この記事を読んで、
何かを変える必要はない。
ただ、
もし同じような違和感があったなら、
それを無視しなくてもいい。
速さは、
目的ではなく手段のはずだから。
僕自身も、
まだ途中にいる。
急がず、
立ち止まりながら。
今日は、
そんなことを考えていた。



