ある日の夕方。
仕事がひと段落したあと、
机の引き出しを整理していました。
奥に、何冊かのノートが重なっていて。
ページの端は少し黄ばんでいて、
正直、存在を忘れていたものばかりでした。
忙しさに追われていると、
記録は「残すもの」になって、
「振り返るもの」ではなくなっていく。
その感覚に、
ふと立ち止まりました。
小さな違和感
僕は昔から、
メモやノートを取る習慣があります。
会議のメモ。
思いついた言葉。
そのとき感じた、うまく言葉にできない感情。
ただ、
振り返る時間は、ほとんどありませんでした。
記録すること自体が目的になっていて、
そこに戻る余裕が、
生活の中になかった。
それが、
どこか引っかかっていたのだと思います。
この記事を書くに至った背景
たまたま、
そのノートを一冊、開いてみました。
特別な理由はありません。
整理の流れで、
なんとなく、です。
最初の数行を読んだとき、
思わず、手が止まりました。
書いてある内容よりも、
その「声」に驚いたからです。
「あの頃も、同じことで悩んでたんだな」
そんな独り言が、
自然に浮かびました。
ノートを書くという行為を通じて
そこに書いてあったのは、
完成していない考えや、
途中で止まったままの思考ばかりでした。
今の視点で見れば、
どれも中途半端で、
結論に辿り着いていないものです。
それなのに、
今の僕が読むと、
不思議と懐かしくて、
少し安心する。
まるで、
ふとした瞬間に古いアルバムを見つけて、
ページをめくっているような感覚でした。
そこに写っているのは、
うまくいっていた頃だけではなく、
迷っていた表情や、
今より少し硬い顔をした自分。
でも、
どれも確かに、
あのときの自分でした。
当時の僕は、
何かを言い切ろうとしていなかった。
正しくまとめようとも、
意味づけようともしていない。
ただ、
その瞬間に感じた違和感や迷いを、
そのまま書き残していました。
振り返ってみて、
そこでようやく気づきました。
記録は、
未来の自分に説明するためのものではなく、
その瞬間の自分と向き合うための行為だった。
ノートは、
答えを出す場所ではなく、
考えが止まっている地点を、
そのまま残すためのものだったのかもしれません。
そんなふうに、
今になって感じています。
生活や仕事に起きた、わずかな変化
それ以来、
ノートとの向き合い方が、
少し変わりました。
「役に立つかどうか」を
考えなくなった。
まとめようともしない。
整えようともしない。
ただ、
今の言葉で、
今の状態を残す。
仕事の進み方が
劇的に変わったわけではありません。
生活が急に整ったわけでもない。
でも、
自分の中の焦りが、
少し静かになった気がします。
過去の経験と照らし合わせて
振り返ってみると、
昔の僕は、
「記録=管理」だと思っていました。
抜け漏れを防ぐため。
評価されるため。
あとで説明できるように。
でも、
あの頃のノートには、
管理しきれない感情や、
整理できない迷いが、
そのまま残っていた。
それが、
今の僕には、
いちばん響いた。
この先にありそうな未来
これからも、
忙しい日は続くと思います。
振り返れない時期も、
また来る。
それでも、
記録が「証拠」ではなく、
「声」として残っているなら。
いつか立ち止まったとき、
過去の自分と、
また話せる気がしています。
その未来が、
少しだけ、
楽しみになりました。
最後に
この記事を書きながらも、
答えは出ていません。
記録の価値も、
まだ、
考え続けている途中です。
もし、
手元に古いノートがあったら。
開かなくてもいい。
ただ、
そこに「声」が残っているかもしれない、
その可能性だけ、
頭の片隅に。
しばらく考え続けてみよう。
そんなところで、
今日は終わりにします。



