給与は、悪くない。
上司との関係も、まあ問題ない。
有給も、取れる。
客観的に見れば、恵まれている。
そのことは、自分でもわかっている。
それでも、なぜか月曜の朝に体が重い。
なぜか会議の最中に、どこかが遠くなる感覚がある。
おかしいのだろうか。
こんなに恵まれた場所にいて、それでも満たされていない自分は。
「環境の良さ」と「感情の納得」は別の話
たぶん、混ざっていたのだと思う。
「労働環境の良さ」と「自分の感情への納得」は、別の話だ。
環境が良いことと、心が満足していることは、
イコールでつながらなくていい。
なのに、僕は長いあいだ、この二つを混同していた。
「こんなに恵まれているんだから、不満に思う自分はおかしい」
「文句を言える立場じゃない」
その論理は、一見まともに見える。
しかし、それは感情を環境で黙らせようとしている。
環境が良いことは、事実だ。
事実は、感情を無効化しない。
感情をポジティブに変換しなくていい
だからといって、大きなことをするわけではない。
感情をポジティブに変換しようとしなくていい。
「この仕事にも意味がある」
「もっとやりがいを見つけよう」
そう自分に言い聞かせることが、正解とは限らない。
ただ、認識する。
「自分は今の働き方に、完全には納得していない」
それだけでいい。
その事実を、否定もせず、過剰に意味づけもせず、ただそこに置いておく。
怒らなくていい。
急がなくていい。
ただ、「そういう自分がいる」と知っている状態に、まずなる。
働き方には「グラデーション」がある
感情をフラットに認められると、少しだけ、視野が変わる。
「今の会社を辞めなければ」とも思わない。
「このままでいいや」とも決めない。
ただ、気づく。
働き方には、グラデーションがあるのだと思う。
それを今すぐ選ぶわけではない。
ただ、そういう世界があると知っているだけで、呼吸が少し深くなる。
全く違う場所に軸を移すという選択肢もある。
それらは、今すぐ決断することではない。
「そういう世界がある」と知っているかどうか、だけの話だ。
環境と感情は、別の座標にある
環境に感謝できない自分は、おかしくない。
環境と感情は、別の座標にある。
その二つを混同させなくなったとき、
何かを変えるかどうかは、まだ決めなくていい。
ただ、納得していない自分がいる。
それだけを、今日はそのままにしておく。


