学ばなきゃ、と思うほど苦しくなった頃

学ばなきゃ、と思うほど苦しくなった頃のアイキャッチ画像 04 | 学びの記録

前に使っていた鞄の中から、古いノートが出てきたことがある。

表紙の角はやわらかく潰れていて、
端のほうだけ少し白くなっていた。

開くと、紙が乾いた音を立てた。
蛍光ペンの跡だけが、妙に鮮やかだった。
黄色と緑と、少し薄くなったピンク。

同じところに、何度も線が引かれていた。
余白には、小さな字が急いで押し込まれていた。
あとで見返すためだったのだと思う。

でも、そのノートを膝の上に置いたまま、しばらく動けなかった。

何が引っかかったのか、すぐには分からなかった。
ただ、そのときの重さのようなものが残って、
この文章を書くことになった。

学習強迫、という言葉を知ったのは、もう少し後だった。

学ばなければ落ち着かない。
何も入れていない時間が、少し怖い。
休んでいるだけなのに、どこか後ろめたい。

その言葉を見たとき、
昔の自分の中にも、似たものがあったのかもしれないと思った。

平日の帰り道、電車の中でスマートフォンを見ていた時期がある。
資格試験の勉強記録。
読了報告。
朝活の写真。
受講した講座のメモ。

画面の中では、みんな静かに前へ進んでいるように見えた。

その流れを見ていると、
自分だけが足りていないような気がした。
何かを知らないまま働いていることが、少しずつ怖くなった。

だから仕事が終わったあとも、
そのまま帰ることができなかった。

少しだけ記事を読む。
少しだけ本を開く。
何かを持ち帰れたと思えた日だけ、ようやく席を立てる気がした。

学びたかったのだと思う。
たぶん、それ自体はほんとうだった。

でも、それだけではなかった気もする。

以前、ECの販促に関わっていた頃、
広告の数字や売上の推移を追いながら、
マーケティングやLPの本を何冊も並行して読んでいた時期があった。

施策が当たった週もあった。
目標を越えた月もあった。
けれど、安心した記憶があまり残っていない。

数字が動いても、
次に見るのは達成ではなく不足だった。

ここが甘い。
まだ浅い。
もっと知っていないと、また外す。

そんなふうに、次の不足ばかり探していた。

学ぶことも、少し似ていた。
一冊読み終えても、また別の本が必要に見えた。
ひとつ理解したつもりでも、すぐに次の穴が見えた。

知識を増やしたかったのか。
それとも、勉強していない自分を怖がっていたのか。

今になると、後ろのほうが近かった気がする。

勉強不足が苦しかったというより、
止まっているように見える時間が苦しかったのかもしれない。

何も積み上がっていない夜。
誰かと比べて、遅れている気がする夜。
学んでいない自分を、そのまま置いておけない夜。

そういうものを薄くするために、
ページをめくっていたこともあったのだと思う。

そう考えると、
あの頃の仕事の見え方も少しだけ変わった。

仕事が嫌だった、というより、
止まることが怖かった。
考え続けているあいだだけ、自分が遅れていないと思えた。

数年前、LPの改修を何度も繰り返していた時期がある。
バナーを差し替えて、文言を直して、また数字を見る。
終わった感じがしないまま、次の修正に入っていった。

あの繰り返しと、
帰りの電車で流れてくる誰かの学習記録は、
どこか同じ形をしていた。

動いていれば、安心できる気がする。
学んでいれば、置いていかれない気がする。
そう思っていたのかもしれない。

これから先も、
またノートを開く夜はあるのだと思う。

何かを書き留めたくなる日もあるだろうし、
学ばないと落ち着かない夜も、たぶんまた来る。

ただ、それが前とまったく同じ苦しさかどうかは、
まだ分からない。

部屋が静かになると、
外を走る車の音だけが少し遠くで聞こえる。

鞄から出したノートは、机の端に置いたままだった。
閉じても、蛍光ペンの色だけは、なんとなく目に残っていた。

学んでいない時間のことを、
すぐには許せない日も、たぶんある。

それでも、
何も増えていないように見える夜が、
ほんとうに空白かどうかまでは、まだ決めなくていい気がしている。