ふと立ち止まる瞬間
一日を終えて、
帰宅して、靴を脱いだ瞬間。
身体の力が一気に抜けて、
そのまま動けなくなることがある。
仕事中は、ちゃんとやれていたはずなのに。
大きなトラブルがあったわけでもない。
人間関係が破綻しているわけでもない。
それでも、
胸の奥に、言葉にしにくい重さが残る。
「仕事が嫌いなわけじゃないのに、
どうしてこんなにしんどいんだろう」
そんな独り言が、
何度か頭をよぎった。
この記事を書くに至った背景
この文章を書こうと思ったのは、
ある日、仕事の帰り道で
ふと浮かんだ違和感がきっかけだった。
僕自身、
仕事内容そのものに
強い不満を持っていたわけではない。
むしろ、
「任せてもらえる」場面も増えていて、
頼られている感覚もあった。
それなのに、
疲れ方が、以前と少し違ってきていた。
身体の疲労というより、
頭の奥が、ずっと張りつめている感じ。
「自分が弱くなったのかな」
「年齢のせいかな」
そんなふうに考えかけて、
でも、どこか腑に落ちなかった。
仕事そのものではなく、環境とのズレ
少し時間をかけて振り返ってみて、
僕が感じていたのは、
仕事と環境のズレだったように思う。
やっている仕事の中身は、
嫌いではない。
ただ、
・求められる役割
・期待される立ち位置
・周囲から向けられる感情
そういったものが、
少しずつ重なって、
知らないうちに負荷になっていた。
特に、
相談を受けることが多い立場になると、
自分の感情より、
相手の感情を優先する時間が増えていく。
それが悪いわけではない。
必要とされている実感もある。
ただ、
その状態が続くと、
自分の内側を点検する余白が
少なくなっていく。
「これは自分の問題?」と考え続けていた頃
以前の僕は、
違和感を感じるたびに、
「自分の問題だ」と結論づけようとしていた。
考え方が甘いのかもしれない。
受け止め方が足りないのかもしれない。
そうやって、
自分の内側に原因を探し続ける。
でも、
どれだけ考えても、
スッと楽になることはなかった。
むしろ、
「ちゃんとやれていない自分」
という評価だけが、
静かに積み上がっていった。
距離の取り方を見直したこと
あるとき、
仕事の進め方そのものではなく、
仕事との距離を
少し見直してみようと思った。
頑張り方を変える、
というより、
関わり方を少し緩める感覚。
すべてを即座に受け止めない。
その場で結論を出そうとしない。
一拍、呼吸を挟む。
それだけで、
心の消耗が
ほんの少し変わった。
生活や仕事に起きた小さな変化
距離を意識するようになってから、
生活の中に、
小さな変化が現れた。
帰宅後、
すぐに反省会を始めなくなった。
仕事の出来を
一日の価値と結びつける癖も、
以前より弱まった。
完璧に切り替えられたわけではない。
それでも、
「今日はここまで」と
区切れる日が増えた。
その変化は、とても静かで、
見逃してしまいそうなものだったけれど、
確かに、
呼吸は少し整っていた。
過去の自分と照らし合わせて見えたこと
振り返ってみると、
以前の僕は、
環境に合わせることを
「成長」だと考えていた。
求められる役割に応える。
期待を外さない。
それ自体は、
間違っていない。
ただ、
その過程で、
自分の感覚を後回しにしすぎていた。
違和感に気づいたとき、
すぐに修正しなくてもいい。
でも、
無視し続ける必要もなかったのかもしれない。
この先にありそうな未来
これから先、
仕事がどう変わるのかは分からない。
環境が変わるかもしれないし、
変わらないかもしれない。
ただ、
「しんどさ=自分の問題」
と即断しなくなったことで、
選択肢の見え方は、少し変わった。
変わらなくてもいい。
立ち止まってもいい。
そんな前提を持てたことで、
仕事との付き合い方に、
ほんのわずかな余白が生まれた。
答えを出さずに、ここで終わる
仕事が嫌いなわけじゃないのに、
しんどい。
その感覚には、
理由が一つだけとは限らない。
自分の問題かもしれないし、
環境とのズレかもしれない。
その両方かもしれない。
どれを選ぶかは、
今すぐ決めなくてもいい。
もし今、
同じような独り言を抱えているなら、
今日はそれを否定しなくていい。
このままでも、
大丈夫かもしれない。
そんな余韻を残しながら、
ここで筆を止める。



