『調身調息』という、今年の選び方

調身調息という、今年の選び方のアイキャッチ画像 働き方とキャリア

年のはじめに、何かを決めなければならないような空気があります。
目標や抱負、方向性。
言葉にしておかないと、不安が増えるような気もしてきます。

ただ、今年はその手前で立ち止まりました。
前を向く以前に、足元が揺れている感覚があったからです。
視界がぼやけていて、どこに力を入れればいいのかも分からない。
焦りだけが、呼吸のリズムを乱していく。
そんな状態でした。

そこで浮かんできたのが、「調身調息」という言葉でした。


身を整えることが、最初に来る

結論から言うと、今年は「整える」年だと考えています。
何かを積み上げる前に、まず崩れていないかを確かめる。
これは後ろ向きな判断ではなく、順番の話です。

調身調息は、坐禅や武道の基本とされる考え方です。
身を整え、呼吸を整える。
心は、その結果として整うものだとされています。

逆に言えば、心を直接どうにかしようとしない。
ここが、少し厳しく、同時に現実的なところです。


心は、整えにいかない

気持ちが不安定なとき、
「前向きになろう」「気にしないようにしよう」と考えがちです。
けれど、それがうまくいかない経験も多いのではないでしょうか。

調身調息では、心は対象になりません。
意識するのは、姿勢と呼吸だけです。
今の体に無理がかかっていないか。
呼吸が浅くなっていないか。

心は、その後ろについてくるものとして扱われます。

この考え方は、甘くありません。
気分が上がる言葉も、即効性のある方法もありません。
ただ、続けられる形で整えていく。
それだけです。


無理な呼吸は、無理な期待と似ている

呼吸が浅くなると、体は常に緊張状態になります。
これは働き方や、将来への期待ともよく似ています。

常に結果を急ぐ。
数字や進捗に追われる。
「まだ足りない」と自分に言い続ける。

それは、息を吸い続けて吐けなくなっている状態に近い。
どこかで苦しくなるのは、自然なことです。

調息とは、深く吸うことではありません。
吐くことを、きちんと許すことです。

休む。
止まる。
今はここまででいい、と区切る

それもまた、整える行為の一部だと思います。


臥薪嘗胆の、その先に

これまで「臥薪嘗胆」を座右の銘としてきました。
耐え、積み、忘れず、前に進む。
その姿勢に救われた場面も確かにあります。

ただ、同じやり方を続けることが、常に正しいとは限らない。
今はそう感じています。

耐える力が、無理を続ける力に変わっていないか。
積み重ねが、休めない理由になっていないか。

臥薪嘗胆の時間があったからこそ、
次に進む準備として「整える」が必要になる。

そう捉えています。


見えていないときは、広げない

先のことを考え始めると、
やるべきことは際限なく増えていきます。
仕事、収入、将来、責任。
どれも現実的で、避けられないテーマです。

けれど、視界が曇っているときに、
一気に広げると、かえって輪郭が失われます。

調身調息は、広げない選択でもあります。
今の体。
今日の呼吸。
今日の一日。

その単位まで、視野を戻す。

それだけで、少し静かになります。


今年の抱負として

今年の抱負を一言で言うなら、
「整える」です。

何かを達成するためではなく、
壊さないために。
削りすぎないために。

体調を最優先にする。
無理な呼吸をやめる。
心を直接いじらない。

派手さはありません。
評価もされにくい。
けれど、続けられる形だと思っています。


まだ途中にいる

この考えにたどり着いたからといって、
不安が消えたわけではありません。
先が見えたとも言えません。

ただ、少し呼吸が戻った感覚はあります。
それだけで、今は十分だと感じています。

調身調息は、完成形ではありません。
日々、崩れながら、戻し続けるものです。

今年は、その練習の年にします。
静かに、淡々と。