肩書きが、先に出てくる会話に疲れた日
名刺交換の場でも、
オンラインのプロフィール欄でも、
気づけば、肩書きを先に探している自分がいました。
何をしている人なのか。
どの分野の人なのか。
どれくらい「価値がありそう」なのか。
そういう情報を、
一瞬で整理しようとする癖。
便利ではあるけれど、
その便利さに、
少し息苦しさを感じる日がありました。
話しているのに、
どこか自分がそこにいない感じがして。
この記事を書くことになった背景
最近、
仕事でも私生活でも、
「自分は何者なのか」という問いが、
以前よりも静かに、でも確実に、
頭の片隅に居座るようになりました。
昇進や評価、
キャリアの方向性。
市場価値という言葉。
どれも間違ってはいないし、
無視できるものでもありません。
ただ、
それらを考え続けるうちに、
ふと立ち止まる瞬間がありました。
もし、肩書きがなくなったら。
そのとき、僕には何が残るんだろう。
その問いが浮かんだまま、
すぐに答えを出す気にもなれず、
しばらく放置していました。
でも、
放置したままでは、
気づかないふりをしているだけだと感じて。
だから、
この文章を書いています。
答えを出すためではなく、
問いの輪郭を、
少しだけ見てみるために。
肩書き・理想像から距離を取るという選択
ここしばらく、
「〇〇のプロ」とか、
「何者かになる」という言葉から、
意識的に距離を取るようにしています。
完全にやめたわけではありません。
必要な場面では、
ちゃんと使っています。
ただ、
それが自分のすべてを説明してくれる、
とは思わないようにしています。
以前は、
肩書きがはっきりしていないと、
不安でした。
説明できない自分は、
まだ未完成で、
途中経過で、
価値が足りないように感じていたからです。
でも、
その不安を埋めるために、
理想像を追いかけ続けるのは、
思っていた以上に、
消耗する行為でした。
働き方を通じて感じたこと
仕事は、
相変わらず忙しいです。
責任もありますし、
判断も求められます。
ただ、
最近少しだけ変わったのは、
「どう見られるか」よりも、
「どう関わっているか」に、
意識が向くようになったことでした。
完璧な肩書きでなくても、
今できる範囲で、
目の前の仕事と向き合っている。
その感覚があるだけで、
気持ちが少し落ち着くことに、
後から気づきました。
評価は、
あとからついてくるものかもしれない。
そう思える瞬間が、
以前より増えています。
生活の中で起きた小さな変化
生活の中でも、
似たような変化がありました。
誰かに会ったあと、
「自分はどう見られただろう」と
反省会をする時間が、
少し減りました。
代わりに、
「ちゃんと話せただろうか」
「相手の話を聞けていただろうか」
そんな問いが残ります。
答えは出なくても、
問いの質が変わった感じがして。
それだけで、
一日の終わりが、
少し軽くなることがあります。
過去の自分と照らし合わせて見えてきたこと
振り返ると、
これまでも何度か、
似たような違和感を抱えてきました。
環境が変わるたびに、
役割が変わるたびに、
「次は何者になるのか」を
考えていた気がします。
そのたびに、
必死で言葉を探して、
自分を説明しようとしていました。
でも、
今は少し違います。
説明できない時間も、
人生の一部なのかもしれない。
そう思えるようになったのは、
歳を重ねたからか、
疲れたからか、
理由ははっきりしません。
ただ、
悪い変化ではない気がしています。
この先にありそうな未来を、ぼんやりと描く
これから先、
また肩書きが増えるかもしれません。
逆に、
減ることもあるでしょう。
どちらでもいい、
とは言えませんが、
どちらでも壊れない自分でいたい。
そう思うようになりました。
何者かにならなくても、
日々の選択や、
人との関わり方は、
続いていく。
その積み重ねの中に、
名前のつかない価値が、
静かに育っていくのかもしれません。
最後に
ここまで書いても、
結論は出ていません。
「肩書きはいらない」とも、
「理想像を捨てよう」とも、
言うつもりはありません。
ただ、
少し距離を取ってみたら、
呼吸が整った。
それだけの話です。
もし今、
同じような違和感を抱えているなら、
無理に答えを出さなくても、
このままでも大丈夫かもしれません。
僕自身、
まだ途中にいます。
今日も、
少し考えながら、
仕事と生活を続けています。
それでいいのかどうかは、
これから、
ゆっくり判断していくつもりです。



