将来の不安を、今日だけは考えなかった理由

01 | 働き方とキャリア

夜中の検索が止まらなかった

スマートフォンを閉じようとして、また開いていた。

「老後 2000万円 足りない」と打ち込んで、
最初の記事を読んで、
次の記事へのリンクを踏んで、
また次の記事へ。

気づけば、1時間が経っていた。

何かがわかったわけじゃない。

ただ、画面の青白い光だけが、
暗い部屋の中に残っていた。

布団に入っても、目が冴えていた。

「足りない」
「今から備えを」
「手遅れになる前に」

そういう言葉が、頭の中でゆっくり回っていた。

翌朝、目が覚めてまず感じたのは、
疲労と、うっすらとした後悔だった。


調べるほど、遠ざかっていく気がした

あのころ、将来の不安を
「情報不足の問題」として扱っていた。

正しい知識さえ手に入れれば、
落ち着けるはずだと思っていた。

だから調べた。

動画を観た。
本を買って積んだ。
セミナーの申込みページを、
ブックマークだけして閉じた。

でも、調べれば調べるほど、
不安の輪郭は鮮明になっていった。

解消されるのではなく、
少しずつ育っていく感じだった。

「老後のお金」を調べると、
「介護費用」が出てくる。

「介護費用」を調べると、
「親の資産」が気になりだす。

終わりのない廊下を、
歩き続けているような夜が続いた。


なぜ、この記事を書こうと思ったか

ある朝、
仕事の準備をしながら気づいた。

「昨夜も、考え続けていた」と。

大げさではなく、
それが何週間も続いていた。

朝起きると、頭が少し重い。
仕事中も、片隅で何かが回っている。

考えているのに、
何も変わっていない。

そのことに、静かに気づいた。

だから、書いてみようと思った。

答えを出すためではない。

今の自分と不安のあいだに、
どれくらいの距離があるのか。

それを確かめるために。


「向き合う」から「距離を測る」へ

不安と「向き合う」という言葉は、
どこか誠実に聞こえる。

だから長い間、
そうしなければいけないと思っていた。

でも、不安は対話できる相手ではなかった。

問いを投げても、
答えは返ってこない。

残るのは、消耗だった。

少しずつ変えたのは、
向き合うことではなく、
距離を測るという感覚だった。

今日の自分に、
どれだけ余裕があるか。

この不安は、
今日扱うものだろうか。

それとも、今日はそっとしておくものだろうか。

答えを出さない。

ただ、位置関係を確かめる。

それだけで、
夜の重さが少し変わった。


何も調べなかった日曜日

ある日曜日、
将来に関係することを何も調べなかった。

意識して決めたわけではない。

ただ、疲れていて、
スマートフォンを開く気力がなかった。

朝、コーヒーを淹れ、
窓の外をぼんやり眺めた。

不安は遠くにあった。

でも、取りに行かなかった。

夕方に少し歩き、
夜に本を少し読んだ。

布団に入ったとき、
頭の中に数字が流れてこなかった。

それだけで、
呼吸がすこし深くなった。


情報が不安を育てることもある

将来が不安になると、
まず情報を集めようとする。

それは自然な反応だと思う。

ただ、違いがあることに気づいた。

現状を知るための検索と、
不安を鎮めるための検索。

後者は、終わりがない。

安心できる記事を見つけても、
また別の不安が生まれる。

調べること自体が習慣になり、
何のために検索しているのかが
わからなくなる。

あの夜も、
知りたかったのではなく、
消したかっただけなのかもしれない。

でも、不安は
情報では消えなかった。


この先に見えているもの

将来の不安が、
完全になくなることはないと思う。

お金のことも、
健康のことも、
仕事のことも。

何かしらは、
ずっとそばにある。

ただ、重なりすぎないように
歩くことはできるのかもしれない。

今日ちょうどいい距離が、
明日もちょうどいいとは限らない。

その都度、測り直す。

それで十分なのかもしれない。


今夜の余白として

夜中に検索したくなる日も、
きっとこれからもある。

でも、
すぐに近づかなくてもいい夜もある。

今日だけは測らない。

今日だけは近づかない。

そうやって生まれた小さな余白が、
呼吸をひとつ深くすることがある。

何も決めなくていい夜が、
どこかにあってもいい。

このままでも、
今日は静かに終わっていく。

それだけで、
十分なのかもしれない。