前に使っていた鞄の中から、古いノートが出てきたことがある。
表紙の角はやわらかく潰れていて、
端のほうだけ少し白くなっていた。
開くと、紙が乾いた音を立てた。
蛍光ペンの跡だけが、妙に鮮やかだった。
黄色と緑と、少し薄くなったピンク。
同じところに、何度も線が引かれていた。
余白には、小さな字が急いで押し込まれていた。
あとで見返すためだったのだと思う。
でも、そのノートを膝の上に置いたまま、しばらく動けなかった。
何が引っかかったのか、すぐには分からなかった。
ただ、そのときの重さのようなものが残って、
この文章を書くことになった。
学習強迫、という言葉を知ったのは、もう少し後だった。
学ばなければ落ち着かない。
何も入れていない時間が、少し怖い。
休んでいるだけなのに、どこか後ろめたい。
その言葉を見たとき、
昔の自分の中にも、似たものがあったのかもしれないと思った。
平日の帰り道、電車の中でスマートフォンを見ていた時期がある。
資格試験の勉強記録。
読了報告。
朝活の写真。
受講した講座のメモ。
画面の中では、みんな静かに前へ進んでいるように見えた。
その流れを見ていると、
自分だけが足りていないような気がした。
何かを知らないまま働いていることが、少しずつ怖くなった。
だから仕事が終わったあとも、
そのまま帰ることができなかった。
少しだけ記事を読む。
少しだけ本を開く。
何かを持ち帰れたと思えた日だけ、ようやく席を立てる気がした。
学びたかったのだと思う。
たぶん、それ自体はほんとうだった。
でも、それだけではなかった気もする。
以前、ECの販促に関わっていた頃、
広告の数字や売上の推移を追いながら、
マーケティングやLPの本を何冊も並行して読んでいた時期があった。
施策が当たった週もあった。
目標を越えた月もあった。
けれど、安心した記憶があまり残っていない。
数字が動いても、
次に見るのは達成ではなく不足だった。
ここが甘い。
まだ浅い。
もっと知っていないと、また外す。
そんなふうに、次の不足ばかり探していた。
学ぶことも、少し似ていた。
一冊読み終えても、また別の本が必要に見えた。
ひとつ理解したつもりでも、すぐに次の穴が見えた。
知識を増やしたかったのか。
それとも、勉強していない自分を怖がっていたのか。
今になると、後ろのほうが近かった気がする。
勉強不足が苦しかったというより、
止まっているように見える時間が苦しかったのかもしれない。
何も積み上がっていない夜。
誰かと比べて、遅れている気がする夜。
学んでいない自分を、そのまま置いておけない夜。
そういうものを薄くするために、
ページをめくっていたこともあったのだと思う。
そう考えると、
あの頃の仕事の見え方も少しだけ変わった。
仕事が嫌だった、というより、
止まることが怖かった。
考え続けているあいだだけ、自分が遅れていないと思えた。
数年前、LPの改修を何度も繰り返していた時期がある。
バナーを差し替えて、文言を直して、また数字を見る。
終わった感じがしないまま、次の修正に入っていった。
あの繰り返しと、
帰りの電車で流れてくる誰かの学習記録は、
どこか同じ形をしていた。
動いていれば、安心できる気がする。
学んでいれば、置いていかれない気がする。
そう思っていたのかもしれない。
これから先も、
またノートを開く夜はあるのだと思う。
何かを書き留めたくなる日もあるだろうし、
学ばないと落ち着かない夜も、たぶんまた来る。
ただ、それが前とまったく同じ苦しさかどうかは、
まだ分からない。
部屋が静かになると、
外を走る車の音だけが少し遠くで聞こえる。
鞄から出したノートは、机の端に置いたままだった。
閉じても、蛍光ペンの色だけは、なんとなく目に残っていた。
学んでいない時間のことを、
すぐには許せない日も、たぶんある。
それでも、
何も増えていないように見える夜が、
ほんとうに空白かどうかまでは、まだ決めなくていい気がしている。


